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草野真人

事案の実相に迫るとはどういうことか

 これまでのコラムや自己紹介文で、私は何回か「事案の実相に迫る」ことの重要性を述べてきました。しかし、それは具体的にどういうことか述べたことがなかったので、今回述べたいと思います。


 裁判官在任中、高裁である医療過誤事件に関与し判決に至りました。20代の女性が消化器系の癌に罹患し、発見されたときは既に第4期と診断されました。婚約者もおり生きることを強く望んだ女性は、ある大学病院に他院では手術の適用がないとして手術してくれない患者を手術してくれる医師がいることを知り、二度にわたり同病院に入院して癌の摘出手術を受けて地元に帰ってきていましたが、数日後痛みを訴えて比較的大きな病院に入院していたところ、不穏状態となって亡くなり、解剖の結果、大腸の穿孔を起こしてイレウスとなっていたこと、これが死因となったことが分かりました。上 記穿孔とイレウスは外科的治療が適切になされれば救命が可能でしたが、医師らはこれが起こっていることに気づかず、薬は投与したものの外科的治療は行われていませんでした。女性の両親が医療過誤であるとして、上記病院と医師らに損害賠償を求めた事件です。原告側は、女性の症状の経過に対応して、いくつかの時点で医師は穿孔とイレウスに気づき対処すべきであったと主張しましたが、一審地裁の合議体は、女性がどの時点でまたどのような機序で大腸の穿孔を起こしてイレウスになったかが証拠上確定できない、したがって過失が認定できないとして、請求を全部棄却しました。
 原判決は、合議体による判決で形式的には整っており、論理の破綻も直ちには認められませんでしたし、どの時点で女性に腸の穿孔とイレウスが起こったか、それを医師が認識できたかについて、証拠が薄いことは否定できませんでした。しかしながら、私には、細かい経緯はともかく女性が病院に入院中に腸穿孔とイレウスになり外科的治療を受けることなく死亡したのは厳然たる事実であり、証拠が薄いのは、医師がこのようなことが起こっている可能性があることに気づいておらず、必要な検査等が行われていないことに起因しているのですから、この2点を中心に据えて医師の過失や責任を考えるべきであると思われました。合議を重ねた結果、原判決と逆の結論に到達しました。そういう目で見れば女性が強い痛みを訴えた時点、女性の意識が混濁した時点、女性が気を失った時点があり、これらの点を捉えてイレウスを疑うべきであるとして過失を捉えることが可能でした(女性はこのような重篤な状態になっていない時にも強い愁訴を訴えていたため、病院側は今回もそうだと軽信してしまったという事情があったようです。)。上記の傍線部分こそ本件の事案の実相です。原審には、本件で解明すべきものは何か、誰を救済すべきか等、事案の実相に迫ろうとする意思が感じられませんでした。


 近時の民事裁判の最大の課題は裁判所が事案の実相に迫った判断を行うためにはどうしたらよいかであり、これが10年以上にわたって最大のテーマでした。合議がうまくできていないのではないか、先輩裁判官から後輩裁判官への伝承がなされていないのではないか等として、合議の充実が叫ばれ、高裁裁判官たちが地裁へ出向いて事例問題を説明する機会を設けること等も行われましたが、好転の兆しは見えていないというのが実情なように見え、永遠の課題といってよいと思います。
 では事案の実相に迫るにはどうすればよいのでしょうか。それは、当事者それぞれが一生懸命主張する事柄や言い分に惑わされず、当事者間に争いがない事実と確かな証拠に支えられた事実(これらを「動かし難い事実」と言います。控訴事件と一審事件、民事事件と刑事事件、つまりすべての事件において裁判所が事実を認定する場合は、動かし難い事実を中心とし、これを基に合理的な推認を行って事実を認定しなければならないとされています。)に基づいた場合どちらの主張が正当であるかをできる限り追求することだと、私は思います。2で述べた事件で言えば、原告である亡くなった患者の両親やその代理人が主張した医師や病院の過失は事件に対する原告側の言い分にすぎず、それが証明されなかったとしてもただちに医師や病院に過失がなかったことにはならない、亡くなった患者と付き添っていた両親が時々刻々不穏状態を訴えていたこと、これに対して看護婦が真摯に医師に伝えず、医師も看護婦の報告を軽く捉えて検査等を怠ったこと、その結果患者は重篤な状態となり、手当てしても間に合わなかったことは動かし難い事実であり、これを直視して正しく構成すれば医師と病院に過失が存することは明らかなのです。
 民事事件や家事事件では、事案の実相に沿った事実認定に成功している場合には、これに沿う証拠が次々に出てきますし、これに沿う事実が次々に出てきます。これに対して、想定したストーリーが事案の実相に沿っていない場合には、これに反する証拠がポロリポロリと出てきてしまい、そのストーリーでは無理なことが分かります。長い間民事事件と家事事件に携わってきましたが、それはパズルのようなもので、誰が判断するかによって違いがでるものではないというのが私の実感です。


 地裁の民事一審判決や家裁の家事一審審判が誤りで不当であるか否か、それは個々的な証拠の評価の誤りや法律判断の誤りである場合もありますが、その核心はそこで出されている結論が事案の実相に沿っていないことにあるのです。

草野真人

裁判官として長く民事事件を担当してきました。中でも、熊本と新潟で関わった水俣病訴訟が印象深く、困難から立ち上がろうとする原告の姿を忘れることはありません。 1987年の熊本水俣病第3次訴訟では主任裁判官として判決を起案し、2011年の新潟水俣病第4次訴訟では裁判長として、国と原告の間で和解が成立した初めての水俣病訴訟の審理をまとめ、原告の安堵の表情が今でも記憶に残っています。 家事事件も数多く担当し、判事補時代に担当した少年事件では処遇に悩み、東京家庭裁判所後見センターや横浜家庭裁判所等で深刻な対立のある家事事件の解決に力を尽くしてきました。 民事、家事を中心としたこれまでの裁判官経験を活かし、実相に迫り依頼者の権利を最大限守る弁護活動を行います

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