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島田陽一

大学の財政危機と給与削減をめぐるリーガルリスク

現在の多くの私立大学では、定員割れが生じている。日本私立学校振興・共済事業団の調査によれば、私立大学の定員未充足校が53.3%を占め、この調査開始以降初めて5割を超えたとのことである。その要因は多様であろうが、少子化という構造的事実があることは間違いない。多くの志願者を得るために大学の魅力を磨く努力だけでは、定員割れに対する処方箋とはならないことも事実である。大学経営は、基本的に学生定員を充足していれば、学費収入(学生生徒等納付金)により安定することが一般的である。しかし、この条件を欠くとなると、その持続可能性に注意信号が点ることになる。

私立大学が担う大学教育の公共性を考えるならば、このような事態を迎えて大学としての持続可能な経営を目指すことは当然であろう。このような状況において、広い意味での人件費の削減も検討対象となってこよう。しかし、十分な準備なしに教職員の給与を引き下げることは、リーガルリスクが高い。

このことを学校法人梅光学院事件山口地裁下関支部判決(令和3.10.26) を素材として教員の給与引下げに係るリーガルリスクを見ておこう。

梅光学院大学を経営するこの学校法人は、学生定員割れが長く続き、帰属収支差額(現在の基本金組入前当年度収支差額。以下「収支差額」という。)が10年間赤字の状態が続き,これを補填する現金預貯金も,耐震化のためのキャンパス整備の出費があり、10年ほどで底をつく状況があり、同一県内の私立大学で3番目に高い給与であるため、人件費を削減する必要があるとして、就業規則の不利益変更によって教員の給与を引き下げた。この就業規則の不利益変更の結果、教員の給与は、本俸、賞与及び扶養手当が減額され、また、通勤手当の上限額の減額(6万円から3万円)、さらに住宅手当の廃止された結果、1割から2割を超える年収の減額となるとものであった。

就業規則による労働条件の不利益変更は、労働者の同意がない場合には、労働者が受けた不利益を労働者に我慢させても止むを得ない程度の高度の必要性に基づき、その変更内容も合理的でなければならないとされている(労働契約法10条、第四銀行事件最判平9・2・28参照)。

この判決は、「少子化などにより,数多くの私立大学が構造的な不況に見舞われる中で,」学校法人も,「毎年多額の帰属収支差額の赤字を計上し,」「大学の建物等の設備の改築のために多額の支出を必要とする状況にあったことなどから,」この学校法人の「経営状態は厳しいものであり,想定される最悪の状況に備えて,収支の改善に向けて対応しようとする経営判断自体は合理的」としながらも、給与の1−2割ものの減少を教員に我慢させるほどの不利益変更に必要なほどの高度の必要性がないと判断したのである。

学校法人が収支差額の赤字が長く継続していることなどなどから、10年ほどで資金ショートに至るので「高度の必要性」のあるとしたが、結果的には、この主張に欠陥があった。この判決は、大学財政の状況について、収支差額だけではなく、収支差額に減価償却費を加えた「資金剰余額」という概念を用い、また、貸借対照表の分析を踏まえて経営状況を判断したのである。

資金剰余額は、学校法人が実際に資金として利用できる額を示すが、減価償却費は、事業活動収支計算書(企業の損益計算書(P/L))においては支出として計上されている。しかし、減価償却費は、実際にその年度の現金支出ではないので、収支差額(P.Lの純利益)には現れないが、実際には利用可能な資金として機能するのである。減価償却費は、事業活動計算書に明示されていないことも多く、事業活動計算書だけを見ても明らかにならない場合もあり、学校法人の主張は、この点での注意に欠けていたと言える。

この判決は、この学校法人には減価償却費が相当程度あり、収支差額の見掛け上の数字よりも資金があると判断したのである。また、この判決は、貸借対照表(B/S)の検討から、この学校法人の流動資産が流動負債を大きく上回り、純資産も多いとした。

これらの検討から、この判決は、学校法人の主張するように,資金が約10年でショートする状態ではなく、「財政上,極めて危機的な状況に瀕していたとはいえないから,労働者が不利益を受忍せざるを得ないほどの高度の必要性があったとは認定できない」としたのである。

この判決からの教訓は、次のようにまとめられよう。

学校法人の収支差額の赤字が継続する状況は健全ではないので、改善策を立てることが必要である。ただし、事業活動収支計算書だけではなく、減価償却費の状況及び貸借対照表などの財務資料から大学財政を深く検討し、その長期的な健全化計画を立てて、人件費に手をつけることが不可避化を判断すべきである。この事件のように、大幅な給与削減は、あまりにリーガルリスクが高い。教職員の人件費に手をつける必要があるとしても、財政の健全化だけではなく、大学全体の長期的計画を示し、教職員が希望を持てる未来を示すなかで、漸進的な給与削減を提案し、教職員に理解を求める努力が肝心といえよう。

島田陽一

2006年に弁護士登録。1996年4月から2023年3月まで、早稲田大学法学学術院にて労働法を担当。2004年早稲田大学法務研究科設立以来、リーガルクリニック授業において労働実務を経験。労働法学会代表理事、日本労使関係研究協会理事、日本労務学会理事などを歴任。中央労働委員会公益委員、また、早稲田大学においては、学生部長、キャンパス企画担当理事、常任理事・副総長を歴任し、大学行政に深く関与。法務省司法試験考査委員、内閣府規制改革会議専門委員、消費者庁「公益通報者保護制度の実効性の向上に関する検討会」委員などを務めた。また、現在、厚生労働省「医師の働き方改革に関する検討会」委員、労働政策研究・研修機構外部評価委員、個別労働紛争解決研修運営委員会委員を務めている。