裁判官として長く民事事件を担当してきました。中でも、熊本と新潟で関わった水俣病訴訟が印象深く、困難から立ち上がろうとする原告の姿を忘れることはありません。
1987年の熊本水俣病第3次訴訟では主任裁判官として判決を起案し、2011年の新潟水俣病第4次訴訟では裁判長として、国と原告の間で和解が成立した初めての水俣病訴訟の審理をまとめ、原告の安堵の表情が今でも記憶に残っています。
家事事件も数多く担当し、判事補時代に担当した少年事件では処遇に悩み、東京家庭裁判所後見センターや横浜家庭裁判所等で深刻な対立のある家事事件の解決に力を尽くしてきました。
民事、家事を中心としたこれまでの裁判官経験を活かし、実相に迫り依頼者の権利を最大限守る弁護活動を行います。