Picture of <span>俵公二郎</span>
俵公二郎

94年ワールドカップと訴訟提起及び執行停止の申立て

先日、代々木公園で開催されていたブラジルフェスタにでかけました。そこで手首に巻くバンドをもらいました。青地に黄色の文字でBRASILと書かれています。
私はこのバンドを見て、94年のワールドカップ決勝戦(ブラジル対イタリア)を思い出しました。イタリア代表は白のパンツに青のシャツ、ブラジル代表は青のパンツに黄色のシャツでした。
当時、私はリオデジャネイロに住んでおり、自宅のテレビに貼り付いて試合を観ていたのでよく覚えています。

この試合は0対0でPK戦に持ち込まれました。先攻はイタリア、後攻はブラジルでした。両チームの1人目は外し、2人目と3人目はゴールを決め、ブラジルの4人目のドゥンガが決め、他方でイタリアの4人目は外しました。この時点でブラジルは3点、イタリアは2点。イタリアの5人目が外せばブラジルの勝ちという展開でした。
全世界が見守る中、ロベルトバッジオが蹴ったボールはゴールポストの上を越えて外れ、ブラジルが勝ちました。

弁護士1年目の時、とてつもないプレッシャーの下で判断を迫られた時のことを思い出しました。
当時、私の依頼者は刑務所におり、某日仮釈放されることが決まっていました。他方、刑務所内で依頼者に対する退去強制手続が進んでいました。依頼者からは退去強制を争いたい、ひいては訴訟を代理して欲しいとの依頼を受けておりました。
私の依頼者は仮釈放と同時に強制送還される可能性がありました。依頼者が強制送還されれば取返しがつきませんし、その後の訴訟追行にも極めて大きな支障を来たします。そのため、訴訟提起と執行停止の申立てをする必要がありました。
しかし、訴訟提起と申立てをするとしても、その対象となる退去強制令書は依頼者に対して交付されません。退去強制令書が発付されているかどうかがわからないため、こちらとしては訴訟提起と申立てに踏み切れません。
また、依頼者は刑務所にいるため「退去強制令書が何月何日に発付されました」との連絡をすぐに確実に受けることができません。
したがって、こちらとしては訴訟提起と申立てをいつするべきかがわかりません。しかし、仮釈放の日は迫っている。こちらが何もしないと訴訟提起と申立てをしなければ、最悪、依頼者が強制送還されてしまいます。
どうすればいいんだ、、、、と弁護士1年目の私は悩みに悩みまくっていました。

私はひとつの賭けに出ました。
これまでの経緯から、入管は仮釈放の日までに退去強制手続をすべて終わらせるはずである。したがって、仮釈放の日までには退去強制令書が発付されている。
そうであれば、仮釈放の日には裁判で必要な要件は全て満たしているはずである。仮釈放の日に訴訟提起と執行停止の申立てをすればよい。
もし、仮釈放の日までに退去強制手続が終わっていなかった場合、その後に訴訟提起と執行停止の申立てをするしかない。しかし、その場合、タイムラグが生じて依頼者が強制送還されてしまうかもしれないが、このリスクは排除できない、それはその時考えて全力でできることをするしかない。

この日しかない。もし依頼者が強制送還されて裁判ができなくなったら依頼者に説明ができない。

その時は弁護士をやめる。私は覚悟を決めました。

仮釈放の当日、詳細は割愛しますが、様々な情報が私のところに来て、私の読みが当たり、訴訟提起と執行停止の申立てができました。依頼者は強制送還されることはなく、その後裁判をすることができました。

もしこの時、私の判断が外れていたら依頼者はどうなっていたのか。考えるだけでもおそろしいです。ロベルトバッジオの判断は結果として外れてしまいましたが、しかし私もそうなっていたかもしれない。私と比較できるかわかりませんが、ロベルトバッジオもとてつもない状況で判断を迫られていたはずです。

当時小学生だった私は無邪気にブラジルの優勝を喜んで、そのへんを歩いている地元の人と喜びを分かち合っていました。
しかし、何かを背負って覚悟を決めて生きることの意味が分かったのは、ずいぶんと後のことになりました。

俵公二郎

自身に投資された利益を社会に還元する方法は、様々な事情を抱えて日本に来た移民が在留特別許可を得ることであると考えて弁護士になった。パナマで生まれ、ブラジルで育った自身の背景を活かし、外国にルーツのある依頼者の相談を多く引き受けている。依頼者の出身国は、メキシコやブラジル等の中南米諸国にとどまらず、中国、ロシア、ミャンマー、マレーシア、ベトナム、フィリピン、ガーナ及びスーダン等、多岐にわたる。 外国にルーツのある人が司法を身近に感じられる社会を作ることをライフワークとして、一般民事事件、家事事件、刑事事件及び在留資格等、様々な類型の依頼に対応している。 公益活動として、2021年に名古屋入管で亡くなったスリランカ人女性の遺族らから委任を受け、原告ら訴訟代理人として国家賠償請求訴訟を提起し、真実解明に取り組んでいる。