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<span>早稲田リーガルコモンズ法律事務所</span>
早稲田リーガルコモンズ法律事務所

遺言に必要な「印」って何?

1 遺言に要求される「印」

 遺言には、「自筆証書遺言」、「公正証書遺言」、「秘密証書遺言」があります。遺言が法的に有効であるためには、それぞれの形式に応じて、法律的に正しい作り方をする必要があります。どの遺言にも共通する作り方として、「印」を押す、という要件があります。
 今回は、この「印」に関する最高裁判所の判断についてご説明します。

2 世の中にある、様々な「印」

 日本で生活をしていれば、様々な「印」があることをご存じだと思います。銀行の口座を作るための銀行印や、重要な契約書等を作る際に使う役所に届けた実印など、使用目的からの分類があります。また、100円ショップで売っているスタンプ印や高級印鑑店で売っている象牙製の印など、物の価値自体から分けられる分類があります。日本では、用途に応じて、様々な「印」を使い分けています。欧米などでは、このような印鑑の文化自体がなく、サインで済ませることが通常です。

3 最近日本の最高裁判所で問題となった「印」

それでは、「花押」という「印」はご存知でしょうか。「印」と言いながら、判を押すのではなく、自分の氏名等の字をデザイン化して書くサインのようなもので、古来、日本、中国などで使用されてきました。今回取り上げる判例は、この「花押」が遺言に必要な「印」と認められるのか、というものです。
 結論をいうと、最高裁判所は、この「花押」を「印」とは認めませんでした。一審も二審も「花押」について「印」と認め、遺言の法的効力を有効としましたが、最高裁判所はそれを逆転させてしまいました。その理由はこうです。

「花押を書くことは,印章(いわゆる「ハンコ」)による押印とは異なるから,民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。」

「我が国において,印章による押印に変えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。」

 まとめると、書類を作る時に「花押」を使うという文化は通常ないから、「印」とは言えない、といったところでしょうか。

4 裁判所が悩んできた「印」という言葉の意味

上記の理由について、最高裁判所がこの「印」に関して、これまでどのような判断をしてきたか見てみましょう。

(1)日本に帰化したロシア出身者のサイン

 最高裁判所は、押印がなくても遺言書は有効である、と判断しました。本人の生活様式が日本式ではなく、日本の押印という慣行に馴染まなかったのに、日本の押印文化を適用させる必要はない、サインがあれば偽造や変造は困難であり、遺言の真正(本人の意思がきちんと反映された文書と言えるか)を担保するために設けられた押印という要件を逸脱する恐れがない、というようなことが、その理由になっています。

(2)指印(指紋)

 これについても、最高裁判所は、遺言を有効としました。遺言書に書かれた遺言者の真意の担保という観点からも問題はなく、指印によって文書の作成を完結させるという考えは日本の慣行や法意識から外れるものではない、といったことが理由となっています。

 さて、このような内容を今回の「花押」に当てはめるとどうでしょうか。確かに、「花押」を普段から使用しているという人は稀だと思われます。そのため「花押」は、確かに現在の日本の慣行に馴染まないと言えるかもしれません。
 一方で、遺言書を書いた人の意思が反映されていること(遺言の真正)を担保するという観点からすれば、本人が独創的にデザインした「花押」は、印章のように他人に勝手に持ち出される危険はなく、氏名を書いただけのサインよりも偽造や変造の恐れも少なく、よほど担保性が強いとも言えるでしょう。しかし、担保性だけが遺言に関する民法の趣旨ならば、どのような形式のものだろうと問題ない、という結論になってしまいます。そうすると、「印」という言葉が条文に存在する意味自体が希薄化してしまうのです。このようなことも考え、最高裁判所は「慣行」という観点から「印」という言葉が条文に規定されている意味を考え、「花押」を「印」とは認めなかったのかもしれません。

 「印」という文字一つでも、様々なことを考える必要があることが、法律の難しいところです。

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リーガルコモンズという言葉に込められている思い、それは共有と貢献の価値観です。わたしたち弁護士の持つ法的問題解決の能力は、私すべきものではなく、それを必要としているすべての人のために用いられるべきである。それがリーガルコモンズの考え方です。わたしたちは、多くの先人の努力の上に受け継いだ法的問題解決の能力を、社会に還元する思いを常に忘れません。