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原島有史

どんな言動がパワハラになるのか

パワーハラスメントの対策を難しくしている原因の一つに、その定義の難しさがある。

実際、企業の社内研修などを行っている際にも、「相談窓口に相談してもパワハラではないと言われた」「部下のミスを指摘したらパワハラだと逆に責められた」など、社内における「パワハラの定義」が曖昧になっているため対応に苦慮している現場の声をよく耳にする。

そこで、私たちはどのような言動に注意しなければいけないのかを整理してみる。

 

パワハラに関する一般的な定義は?

我が国では、2019年の第198回通常国会において「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律」(「労働施策総合推進法」)が改正され、2020年6月1日の法施行以降、大企業においては職場におけるパワーハラスメント防止対策が事業主の義務となった。

そのため、公的な資料や社内研修では、この法律上の定義に沿って説明するのが一般的である。

 

我が国の法律上、パワーハラスメントは「①職場において行われる優越的な関係を背景とした言動であつて、②業務上必要かつ相当な範囲を超えたものにより、③その雇用する労働者の就業環境が害されること」と定義されている(労働施策総合推進法第30条の2第1項)。

 

厚生労働省は、令和2年厚生労働省告示第5号で具体的にパワーハラスメントにあたると考えられる例、または当たらないと考えられる例を次のとおり示している。

厚生労働省パンフレット「職場におけるパワーハラスメント対策が事業主の義務になりました!」から引用)

これらはいずれも、基本的には過去の裁判例で違法と判断された言動をもとに作成されている。

 

日本の裁判所はパワハラをどう捉えているのか

日本では、具体的な言動が違法であるかどうかを最終的に判断するのは、裁判所の役割とされている。

たとえば、上記「(2)精神的な攻撃」「④相手の能力を否定し、罵倒するような内容のメール等を当該相手を含む複数の労働者宛に送信する」に関しては、以下の裁判例が元になっていると思われる。

 

職場の上司Xが、メールの名宛人である部下Yだけでなく、同じユニットの従業員数十名も送信先に加えたうえで、次のような文面のメールを送信した(この部分は赤字で、ポイントの大きな字だった。)

「意欲がない、やる気がないなら、会社を辞めるべきだと思います。当SCにとっても、会社にとっても損失そのものです。あなたの給料で業務職が何人雇えると思いますか。あなたの仕事なら業務職でも数倍の業績を挙げますよ。」「これ以上、当SCに迷惑をかけないで下さい。」
(東京高判平成17年4月20日労判914号82頁)

 

裁判所は上記メールの文面について、「それ自体は正鵠を得ている面がないではないにしても、人の気持ちを逆撫でする侮蔑的言辞と受け取られても仕方のない記載などの他の部分とも相まって、控訴人の名誉感情をいたずらに毀損するものであることは明らかであり、上記送信目的が正当であったとしても、その表現において許容限度を超え、著しく相当性を欠くものであって、控訴人に対する不法行為を構成する」と判示している。

東京大学の水町勇一郎教授は、過去の裁判例を次のとおり整理している。

 

業務上の指導にかかわる言動については、ⓐ正当な業務上の必要性に基づいてなされたものであるか、ⓑ業務上の必要性に基づくものであったとしても相手方の人格(その職業的キャリア、企業内での立場、人間としての存在など)に配慮しそれを必要以上に抑圧するものでなかったかという観点から、社会通念上許容される範囲の指導か(それを超える違法な言動か)が判断されるものと解される。したがって、例えば上司による部下への指導が業務上の必要性に基づくものであったとしても、相手方の人格を否定するような嫌悪の感情と威圧的な態様でなされたものである場合には、不法行為が成立しうる。
(水町勇一郎著『詳解 労働法』(東京大学出版会・2021年・第2版)285頁)

 

ここで注意すべきなのは、パワハラに該当するかどうかはあくまで客観的な評価の問題であり、当事者の主観のみで左右されるものではないという点である。

 

ハラスメントの本質はどこにあるのか

ハラスメントの該当性について、次のような説明を見かけることがある。

 

「ハラスメントというのは、行為者がどう思っていたかではなく、相手が不快に思ったかどうかで決まる」

「行為者の意図に関わらず、相手が不快な気持ちになればハラスメントは成立する」

 

このような説明は不正確である。不正確なばかりか、パワハラの定義を曖昧にしてしまうという意味で有害ですらある。

人は皆それぞれ個性があり、快・不快の基準は人によって異なる。

たとえば、職場で他の従業員に対し、「今度選挙があるから、投票に行かないとね」と言ったとする。「まぁそうだよね」と思う人もいれば、そのような話題を出されること自体を不快に感じる人も中にはいるかもしれない。

だからといって、その発言自体がハラスメントと評価されることは絶対にありえない。

 

「私が不快に感じたのだから、あなたの行為はハラスメントだ」というのは、一般的な定義にはなりえない。それはパワハラ加害者の発想である。

 

もちろん上のような説明をしている人たちも、そのような意図で書いているわけではないだろうし、セクハラに関しては、そのような説明も一面では的を射ている。

しかし、「パワハラという概念は、上司の指導に対して部下が不快に感じたかどうかで判断するもの」と誤解する人も出てくるだろう。

このような誤解をしてしまった場合、その対応はふたつに分かれる。①必要以上に委縮して部下の指導に支障が生じるか、②「パワハラ」という概念自体くだらないものとして無視するようになるか。いずれにせよ、望ましい方向とはいえない。

人と人がコミュニケーションをとる以上、相手を不快にする可能性はゼロにはならない。不快な思いを一切したくないのであれば、そのサービスに見合った対価を支払うべきである。逆にお金をもらって働く以上、一定程度の不快は受け入れざるを得ない。

ハラスメントが許されないのは、それが不快だからではない。相手に対する加害行為であり、他人の心身と、人としての尊厳を破壊する行為だからである。

ハラスメントの定義は一言で表せる。それは、他者の人格的尊厳を侵害することだ。

 

具体的にどのような行為がパワハラになるのか

部下の仕事上のミスを、上司が指導する場面を考えてみよう。

【発言の内容に着目した場合】

・脅迫行為や、身体・名誉・地位・財産に危害を加える言動、単純な悪口
→その発言の目的のいかんを問わず、パワハラと評価される。

例)殺すぞ。死ね。給料ドロボー。殴られたいのか。クビにするぞ。仕事やめちまえ。バカ・ハゲ・デブ・ブサイク、など

 

・部下の属性や存在を否定する言動
→仕事と無関係、または関連性の乏しい目的で言えばパワハラと評価される。仮に業務に関連してなされたとしても、継続的になされた場合や発言状況によってはパワハラに該当する可能性が高い。

例)頭が悪い。見た目が暗い。使えない・仕事ができない。お前は会社にとって損失。など

 

・部下が行った業務自体を否定する言動
→直ちに違法なパワハラというわけではない。ただし、机の前に立たせて長時間叱責を続けるなど、発言の方法や態様によってはパワハラになりうる。

例)こんな資料じゃ使えない。さっきのプレゼンは最低だった。報告書が酷すぎる。など

 

・部下が行った業務の改善点を指摘する言動
→通常はパワハラとは評価されない。

例)この資料には根拠となるデータが足りない。あのプレゼンは●の部分の準備が足りていないのではないか。報告書は期限内に提出してくれないと困る。など

 

とはいえ、どのような言動がパワハラとなりうるかは、ほんの数年単位でも変化する。そのため、どのような言動を禁止すべきかということよりも、どのようなコミュニケーションを目指すべきかという観点から考えた方が、より生産的であろう。

過去数十年にわたって世界中で愛読されているディール・カーネギーの古典的名著『人を動かす』の一節を紹介する。これは、何十年経っても変わらない人間の本質だと思う。

 

「人を動かす秘訣は、この世に、ただ一つしかない。この事実に気づいている人は、はなはだ少ないように思われる。しかし、人を動かす秘訣は、間違いなく、一つしかないのである。すなわち、自ら動きたくなる気持ちを起こさせることーこれが秘訣だ。
重ねて言うが、これ以外に秘訣はない。
もちろん、相手の胸にピストルをつきつけて、腕時計を差し出したくなる気持ちを起こさせることはできる。従業員に首を切るとおどして、協力させることもできるー少なくとも、監視の目を向けている間だけは。鞭やおどし言葉で子供を好きなように動かすこともできる。しかし、こういうお粗末な方法には、常に好ましくないはね返りがつきものだ。
人を動かすには、相手のほしがっているものを与えるのが、唯一の方法である。
人は、何をほしがっているか?」
(デール・カーネギー『人を動かす 新装版』(創元社・1999年)より引用)

 

この問いに対しカーネギーは、優れた心理学者ウィリアム・ジェイムスの言葉を借りて、こう述べている。

 

「人間の持つ性情のうちで最も強いものは、他人に認められることを渇望する気持ちである」
「他人のこのような心の渇きを正しく満たしてやれる人はきわめてまれだが、それができる人にしてはじめて他人の心を自己の手中に収めることができるのである。」
(デール・カーネギー『人を動かす 新装版』(創元社・1999年)より引用)

 

さらにカーネギーは、チャールズ・シュワッブの言葉を引用して、人を動かす秘訣を次のように説明している。チャールズ・シュワッブとは、1921年にUSスチール社が設立されたとき、アメリカの鉄鋼王アンドリュー・カーネギーが社長に迎えた人物である。

 

「私には、人の熱意を呼び起こす能力がある。これが、私にとっては何物にも代えがたい宝だと思う。他人の長所を伸ばすには、ほめることと、励ますことが何よりの方法だ。上役から叱られることほど、向上心を害するものはない。私は決して人を非難しない。人を働かせるには激励が必要だと信じている。だから、人をほめることは大好きだが、けなすことは大嫌いだ。気に入ったことがあれば、心から賛成し、惜しみなく賛辞を与える」

これが、シュワッブのやり方である。ところが、一般の人はどうか?まるで反対だ。気に入らなければめちゃくちゃにやっつけるが、気に入れば何も言わない。

「私は、これまでに、世界各国の大勢の立派な人々とつきあってきたが、どんなに地位の高い人でも、小言を言われて働く時よりも、ほめられて働く時の方が、仕事に熱がこもり、出来具合もよくなる。その例外には、まだ一度も出会ったことがない」
(デール・カーネギー『人を動かす 新装版』(創元社・1999年)より引用)

 

もちろん上司も人間である。そう簡単にできるものではない。とはいえ、どのようなコミュニケーションが「よい指導」なのか、その方向性は社内で共有することが求められる。

原島有史

法律は、社会にいるすべての人を縛るルールであると同時に、すべての人を支えるツールでもあります。企業における経営判断においても、個人の人生を左右する決定においても、法律の知識というのは想像以上に役に立つものです。 「問題に直面してはいるけど、誰に何をどう相談したらいいのかわからない」というときは、ぜひ一度ご来所ください。直面する状況で、どこにどのような問題があるのかを整理・分析することも、我々弁護士がご提供できるリーガル・サービスの一つです。